インディアン・ポーカー
上村松園とオディロン・ルドンと福永武彦と次長課長をこよなく愛するイチロクブログ
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いまはがむしゃらにがんばってみるね。
昔から「落語」に興味があります。

興味がある、といっても、
ときどき時間の空いたときなどに、
あらかじめ録画しておいたテレビ番組やラジオ番組を拝聴する程度ですので、
くわしい説明や解釈なんて何ひとつできない、単なる素人視聴者にすぎない立場なのですけれども。

それでもなんとなく。
いくどとなく拝聴しているうちに。
「やっぱり好きだなあ」と感じる噺家さんがちらほらとあらわれたりするもので。

最近とくに心惹かれる噺家さんといえば、
言わずと知れた雲の上の神様、古今亭志ん生師匠だったりします。

もちろん、
志ん生師匠の関連資料をやみくもに集めているわけではありませんし、
志ん生師匠の演目のすべてを拝聴したわけではございませんので、
どのあたりに惹かれますか?と問われても、ただなんとなく、としかお答えできませんし、
どの演目がお好きですか?と問われても、
指定できるほどの知識はございません、としかお答えできない有様だったりするのです。

「すき」はいつだって直感力と瞬発力。
理屈なんていらないのです。理屈なんて必要ないのです。

落語に興味があるのも、そもそも理屈というより感覚的な要素が強く働いておりまして。
あの、落語独特の言葉のリズムと調子のリズムの心地よさ。
そして最後にストンと急降下する、あの無駄のない、そして容赦のない美しいオチの潔さ。
ただそれだけを聞きたいから。ただそれだけの欲望から。
ただそれだけの安易な理由から落語に心惹かれてしまうのです。





「すき」の理由はいつだって。
いつだって簡単明瞭、そして奇妙奇天烈だったりするのでございます。





ところでところで。
おなじような理由で数年前から心惹かれるコント師がいらっしゃいます。
このブログでは言わずと知れたおふたり。

ニコイチ次長課長。

そのひとなのであります。

もちろん作品によって多少の違いはございますが、
次長課長のコントのオチは概ね、余韻を味わう暇がないほどストンと落ちる。ぽんと突き放される。

しかも彼らの作品は時として。ごく稀に。ぽんと突き放すだけでは飽き足らず。

物語のさいごのさいご。オチと呼ばれるラストの瞬間に。
いまのいままで見ていた世界とはまったく別の、似て非なる「異次元の世界」へと。
なんの心の準備もないままに、いきなりぽんと放り投げられる時があるのです。

見ている側は放り投げられたまま。ただただ呆然と立ち尽くしているだけで。
けれども目の前の物語は容赦なく、容赦なく幕を閉じてしまうものだから。

放り投げられた者はどうしたらよいかわからずに。
ただただ呆然と立ち尽くしているだけで。

別の言葉で例えるならば。

ゆるやかな桜並木の歩道を、穏やかな気持ちでぼんやりと散策しているときに。
いきなり腕をつかまれて、冷たい川のなかにぽんと放り投げられたような感覚。錯覚。

びしょぬれになった当の本人は、なにがなんだかわからずに呆然としているけれども。
自分を放り投げたであろう何者かは、いつのまにか煙のごとく姿を消しているものだから。

放り投げられた者はどうしたらよいかわからずに。
ただただ呆然と立ち尽くしているだけで。




もちろん作品によって多少の違いはございますが、
次長課長の作品のラストは概ね、余韻を味わう暇がないほどストンと落ちる。ぽんと突き放される。
いっそ潔いほどに叩き落される感覚を味わうときもあれば、
いっそ物足りなさを感じるほどの勢いで、容赦なくぽんと突き放されることがあるのです。




えっとそれから。
ここから先は内緒話なのですけれども。




次長課長が作り出す、ある種の「毒」の根源は。
次長課長のおふたりがむかしから。
そしていまも変わることなく身の内に抱えているであろう共通の感受性を窺わせる節があって。
そこには独特の「いびつさ」と、
独特の「幼児性」が見え隠れしているような気がするのですけれども。



それはまるで手加減を知らない子供のような残酷さと。
物事の境界線上に立つ者だけが秘めている、奇妙な矛盾と、底知れぬ不可解さ。



たとえばおなじ作品を、彼ら以外の人物がまったくおなじような手順で演じたとしても。
あるいは次長課長のおふたりが、それぞれまったく別の相手と向き合って演じたとしても。

ぜったいにぜったいにあの「いびつさ」は立ちのぼらない。
誰からもどの組み合わせからもあの「いびつさ」は生まれないだろうと断言したくなるような。



それはまるで手加減を知らない子供のような残酷さと。
物事の境界線上に立つ者だけが秘めている、奇妙な矛盾と、底知れぬ不可解さ。



けれどもこれはあくまでも。
わたくしひとりのたわごとざれごと世迷いごと。
所詮は手前勝手な印象に過ぎず。

だから今宵もどうか目を伏せて、
どうかお聞き流しいただければ幸いなのです。












ところでところで。
次長課長河本準一さんが監督を務めた映画、「be set free」もまた同様に。
急速な勢いで異次元の世界へと導かれる仕上がりになっていることは、もうご存知でしょうか。

ぽんと放り投げられたその先が。
はたして地獄なのか。はたまた極楽なのかは。
それもまた。
観る者すべて、各々の解釈の仕方によって、変幻自在にその姿を変えてしまうのかもしれません。

そしてここから先は、ほんのすこしだけ核心に触れてしまいますけれども。

映画のラストシーン。
その瞬間に主人公が口にした、まるで祈りのような呪いのような呟き。
気のせいでしょうか。「ただひたすら愛す」と囁いているようにも聞こえるのですけれども。



果たして真相はいかに。



未見の御方はどうか。いつか機会がございましたらどうか。
ぜひ御自分の耳でお確かめいただければ幸いです。

ただし油断は禁物。どうか心してご覧くださいませ。
油断して心をゆるめて。ついつい気楽なノリで笑っているうちに。













2度と引き返すことのできない深淵へと、放り投げられてしまうかもしれません。
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